2.演奏技術
(2)作曲者の意図通りに演奏する

 前回は『作曲者の意図を読み取ること』よりも
 『それを表現する方が断然難しい』ことを述べた。
 またその理由として、『作曲者の意図は既に楽譜に
 書かれおり、その通りに演奏すれば幾ばくかの表現は
 可能であるから』ということを説明した。

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 Q.それではここで恒例の問題である。
   前回の最後に「もしも表現の足りない部分や
   間違っている部分があったとしても『それを
   指摘すべき者』は別に存在する」と書いたが、
   ではその『指摘すべき者』とは一体誰のことか?
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 今回の問題は簡単過ぎて、中には拍子抜けした人も
 いるのではないだろうか。
 ところでこの「拍子抜け」という言葉だが、その名の
 通り、音楽が発祥の言葉である。
 奏者が「拍子抜け」するようではいけない。

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 A.正解は、
   「指揮者」
   である。
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 例えば、合奏の中の1パート譜に[f]と書かれていた
 とする。
 この[f]を演奏するためには一体どれだけの音量で
 弾けば良いのだろうか。

 旋律の[f]と伴奏の[f]、大合奏の[f]とソロの[f]
 では、同じ[f]でも作曲者の意図は異なる筈である。
 もし奏者が間違った意図のまま演奏した場合には
 誰かが指摘してやらなければならない。
 それが「指揮者」なのである。

 「指揮者」とは指揮棒を振るだけでなく、各奏者に
 対してそういった間違いを指摘し、どのように演奏
 すべきかを指導する役割を担っている。
 と言うよりも、それが一番の仕事でなのである。
 そのため、「指揮者」は奏者の誰よりも作曲者の
 意図を読み取る力に優れている必要がある。
 「指揮者」の難しさはそこにある。

 そう書くと、「では作曲者の意図を全て読み取った
 指揮者が奏者全員に対してその意図を全て説明し、
 どう演奏すべきかを指導すれば、奏者は何も考え
 なくても良いのではないか」と言うが必ず現れる。

 確かにそれはその通りなのだが、現実問題として
 その方法には物理的にも時間的にも無理がある。
 そのため、各々の奏者が作曲者の意図を理解して
 演奏し、指揮者はそれらの最終的な仕上げをする、
 というのが理想の形になるのである。
 最低限、奏者は楽譜に書かれていることくらいは
 演奏してやらねば指揮者も可哀想である。

 この理屈を逆に捉えた場合、もし全ての奏者が
 作曲者の意図を理解し、完璧な演奏が出来る場合、
 指揮者は不要だということになるが、実はそれが
 『演奏の最終形態』なのである。
 奏者は指揮者に頼ることなく、常にそのことを
 認識して演奏してもらいたい。
 奏者が目指すべき所はそこなのである。



 んー、DJは人生すら目指すべき道を誤ってるかも。
 (↑おいおい・・・。)



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 【今回の要点】
  ○奏者の表現に間違いがある場合、
   『それを指摘すべき者は「指揮者」』
   である。
  ○奏者の目指すべき所は、
   『指揮者を不要とする完璧な演奏』
   である。
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