2.演奏技術 (2)作曲者の意図通りに演奏する 前回は『作曲者の意図を読み取ること』よりも 『それを表現する方が断然難しい』ことを述べた。 またその理由として、『作曲者の意図は既に楽譜に 書かれおり、その通りに演奏すれば幾ばくかの表現は 可能であるから』ということを説明した。 ################################################## Q.それではここで恒例の問題である。 前回の最後に「もしも表現の足りない部分や 間違っている部分があったとしても『それを 指摘すべき者』は別に存在する」と書いたが、 ではその『指摘すべき者』とは一体誰のことか? ################################################## 今回の問題は簡単過ぎて、中には拍子抜けした人も いるのではないだろうか。 ところでこの「拍子抜け」という言葉だが、その名の 通り、音楽が発祥の言葉である。 奏者が「拍子抜け」するようではいけない。 ################################################## A.正解は、 「指揮者」 である。 ################################################## 例えば、合奏の中の1パート譜に[f]と書かれていた とする。 この[f]を演奏するためには一体どれだけの音量で 弾けば良いのだろうか。 旋律の[f]と伴奏の[f]、大合奏の[f]とソロの[f] では、同じ[f]でも作曲者の意図は異なる筈である。 もし奏者が間違った意図のまま演奏した場合には 誰かが指摘してやらなければならない。 それが「指揮者」なのである。 「指揮者」とは指揮棒を振るだけでなく、各奏者に 対してそういった間違いを指摘し、どのように演奏 すべきかを指導する役割を担っている。 と言うよりも、それが一番の仕事でなのである。 そのため、「指揮者」は奏者の誰よりも作曲者の 意図を読み取る力に優れている必要がある。 「指揮者」の難しさはそこにある。 そう書くと、「では作曲者の意図を全て読み取った 指揮者が奏者全員に対してその意図を全て説明し、 どう演奏すべきかを指導すれば、奏者は何も考え なくても良いのではないか」と言うが必ず現れる。 確かにそれはその通りなのだが、現実問題として その方法には物理的にも時間的にも無理がある。 そのため、各々の奏者が作曲者の意図を理解して 演奏し、指揮者はそれらの最終的な仕上げをする、 というのが理想の形になるのである。 最低限、奏者は楽譜に書かれていることくらいは 演奏してやらねば指揮者も可哀想である。 この理屈を逆に捉えた場合、もし全ての奏者が 作曲者の意図を理解し、完璧な演奏が出来る場合、 指揮者は不要だということになるが、実はそれが 『演奏の最終形態』なのである。 奏者は指揮者に頼ることなく、常にそのことを 認識して演奏してもらいたい。 奏者が目指すべき所はそこなのである。 んー、DJは人生すら目指すべき道を誤ってるかも。 (↑おいおい・・・。) ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ 【今回の要点】 ○奏者の表現に間違いがある場合、 『それを指摘すべき者は「指揮者」』 である。 ○奏者の目指すべき所は、 『指揮者を不要とする完璧な演奏』 である。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ 次へ |
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